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東洋人としてのブルースリー


アメリカのTIMES誌がえらんだ今世紀の20人の英雄として西洋人19人が挙げられる中、唯一東洋人、
アジア人としてブルース・リーの名が挙げられ<アジアの世紀>といわれる21世紀を迎えた今、20世紀の終焉にその明かるい未来を垣間見せてくれた。

アジア人の最初のSUPERSTARである彼は6歳のころから中国の映画で<李小龍>の芸名で演劇の心を身につけ活躍し、 少年時代と青年時代のほとんどを喧嘩で費やし、それが原因でのちに生まれ故郷アメリカにとび中国の遺産、功夫を西洋人に認めさせるべく 7年間映画会社の門をたたき続け、人気テレビシリーズ(GREEN FORNET)に準主役を演じた以外は小さな役どころしか演じることができず、 アジア人のMOVIE ACTORとして名を挙げるという彼の目標は夢のまた夢であった、というのも当時の中国人は小さい体で辮髪で袖に両腕をいれ 肉体労働をするという従属的な民族であり彼はアメリカ映画界の<人種の壁>に阻まれたのである。 (サイレントフルートも製作段階で瓦解 燃えよカンフーにいたってはデビットキャラダインに主役を変更させられた。) アメリカの現状に失望した彼は中国に帰り、新興映画会社GORLDEN HERVESTと契約を結び、彼の初主演作<ドラゴン危機一髪>と 第2作く<ドラゴン怒りの鉄拳>が公開され映画は大ヒットし、アジア中に人気が飛び火した。

映画でのブルースの役は常に外国人に苦しめられる中国人であり、さらに彼はその外国人に罰を与えた。 当時アジアでは西洋諸国に占領されていたり、生活を脅かされており、聴衆はスクリーンのなかの敵を自分達の敵になぞらえた。 彼は聴衆の果たせぬ復讐をスクリーンの中で代行し、彼は<復讐の天使>とも呼ばれるようになる。 彼は西洋には東洋の文化の美しさを教え、東洋には西洋の貪欲さをもって文化を暴露すること、 また伝統を打ち破ることにより自由になることを教えた。 このことにより、 様々な功夫の技術書が世界中で売られ、今日も西洋人は功夫を学ぶため、中国人に頭をさげ、中国人はそれに応え技術を伝授している。 <燃えよドラゴン>はハリウッドと香港の合作第一号であるが、言葉や文化の壁が映画の進行を著しく遅れさせた、 一時はハリウッド側が撮影現場を移す事さえ考えたほどである。 しかしブルース・リーはめげず<彼は心身ともに疲れ、体重が7キロ近く落ちた>撮影を終え、燃えよドラゴンが完成。  彼の死後映画が公開され、ブルース・リーは最期に人種や言葉が違っても協力すれば成功することを証明して、 長年求めていた自身の世界的名声をその目で見る直前にこの世を去った。 

  彼は「燃えよカンフー主役立ち消え事件」の直後のピエールバートンとのインタビューで人種差別についてこう述べている。  「私はアメリカで本物の東洋を見せてやると決心した、私がいっているのは辮髪で小柄で上がり目で 「チョップチョップ」といっているような前時代的な中国人のイメージのことだ」  「私のやろうとした番組が立ち消えになったのも東洋人がテレビの主役になることの反発から立ち消えになったらしい」 「不幸にも人種差別がこの世に存在していることがわかるだろう、私はそれを責めはしない。   私にとって人種差別なんて問題じゃない 自分に対して正直にやっていれば。他の人がどううけとっても 分かるだろ?」  ピエールバートンは彼に「自分のことを中国人 アメリカ人どっちであると考えていますか」ときき、 ブルースは「どちらでもない  私は自分のことを人間だと考えている」と答えた。

そのインタビューの2、3年後彼はインタビューで述べたとうり  彼は自分が成功することにより東洋と西洋の掛け橋として双方の良さを認めさせ、 自身が苦しんだ人種差別の壁を超越する存在になるのである。


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