私が始めてブルースリーを見たのは小学生低学年ぐらいの頃、 TVで放送されていた「燃えよドラゴン」で彼がヌンチャクをものすごい速さで操っているのを見たときである。 この時の記憶は少ししか覚えていないが高校2年の時、深夜に放送した 「ドラゴン危機一髪」を見て彼のキックやパンチの速さとキレに感動して他の作品や本などで彼を調べた。 そのうちに、映画俳優と違う側面が次第に浮き彫りになり、 私が彼を認識しない時から彼の恩恵を少なからず受けていることを知った。 それは彼が主演したハリウッド映画「燃えよドラゴン」の影響である。 世界中で「燃えよドラゴン」が大ブームとなり世界各地で武道ブームがおこり、カンフー道場や空手などの生徒が激増し、 特に日本では大規模な「空手ブーム」が起こり、その門下生や道場が激増した。 (私はイギリスへホームステイした際、図書館で空手や武術の史書を調べたところ 「燃えよドラゴン」が武術そのものを広めるきっかけを作り、その経済的功績を認める記述があったことを確認しました。)また彼は東洋人のイメージをひっくり返してしまったこともまた挙げなければなりません 当時アメリカにおける東洋人(中国人)の印象といえば肉体労働を強いられ、辮髪で小柄で袖に腕を入れ 妙なことを繰り返しつぶやく人種という印象で映画などで屈辱的な描かれ方をされていました。 「燃えよドラゴン」のブルースリーがスクリーンの中でキレのいい強烈な技で大きな男をなぎ倒し、世界の人々に対し、 強烈なインパクトを与え彼らの中のアジア人のイメージを塗り替えた。 また彼はアジア人として初のスーパースターであることも注目しなければならない。 アメリカのタイムズ紙が選んだ「20世紀の20人の英雄」の中で西洋人が名を連ねる中アジア人としてただ一人ブルースリーが 選ばれるという彼自身の功績に加えて彼が「燃えよドラゴン」で起用したサモハンキンポー、 その弟子ジャッキーチェン、ユンピョウと続く次なるアジア人映画界の人材の礎を築き、 アジア人の映画俳優の地位の確立に貢献したことも ブルースリーの功績が「点」ではなくこれからの武道界に語り継がれるべき「線」の功績であることを顕している。